TRIZは知識ではなくスキルである。それは、訓練によって得られる特殊な技能であって、スポーツのように体で覚えるものである。 TRIZは、実施者により、同じ結果を保証するものではない。
同じ状況からスタートしてTRIZの同じ手法(たとえば、古典的TRIZの技術的矛盾と発明原理)を用いても、人により異なった結果に到達する。 TRIZの適用に当たっては、学校で習った各教科の知識と違って、正解がないということである。
学校教育においては、正解を導くことができるようになれば、その方法は習得できたことになるが、正解のないTRIZの適用においては、この判定基準を採用できない。 したがって、特に高い知識を有する方々からすれば、TRIZを使用する際に、大きな不安を引き起こすことであろう。
そのため、TRIZを導入するかどうか大いに迷うことになる。 TRIZの習得に関していえば、どこまで到達すれば習得できたことになるかといった地点は存在しないということである。 TRIZの習得については、「できる」と「できない」のいずれかの状態が存在するのではなく、「よりうまく使える」か「より下手か」という連続的な状態が存在するのみである。
野球やバスケットボールで、「できる」、「できない」という議論が意味を持たず、「だんだんうまくなる」とか「AさんよりBさんの方がうまい」という言い方しか存在しないのと同様である。 国際TRIZ協会の認定制度の5レベル(最高レベル)を持っているTRIZマスターは別格として、私たちはTRIZをうまく活用できることを目指すことになろう。
具体的な目標としては、必要に応じて指導者の援助を受けながら、とにかくTRIZが適用できるといった初心者の状態から、他のメンバーを指導しながらTRIZを使ってプロジェクトをリードできる上級者の状態を目指すことになろう。
なお、TRIZの適用に当たって正解がないということは、唯一の正しいTRIZは存在しないということである。実施者の知識、経験によって自分にあったTRIZ(たとえば、I-TRIZ)を探すことになろう。