トヨタが儲かっている最大の理由は、運転資金を最小化する「トヨタ生産方式」ではなく、製品開発部門が売れる商品を市場に投入できる「リーン製品開発方式」にあるといわれています。
「リーン製品開発方式」には、構想段階で多くの代替案を並行検討し、徐々に絞り込み、最終的には1つの案に集約する「セットベース開発」、社内の知恵を伝承する「A3報告書」、担当する車種に関してのすべての事柄に責任をもつ「主査制度(チーフエンジニア制度)」、の3本柱があるといいます。
このうち前ニ者は、技術的な内容であり、「リーン製品開発方式」(アレン・ウォード・デュワード・ソベック著、稲垣公夫訳、日刊工業新聞社発行)や「トヨタ式A3プロセスで製品開発」(稲垣公夫・成沢俊子共著、日刊工業新聞社発行)に詳しい説明が記載されていますので、自分の部署の活動に取り入れることを検討することが比較的容易かと思います。
これに対して「主査制度」は人や組織の問題なので、すぐに採用できるようなものではありません。部外者がトヨタの「主査制度」を知るうえで好適な資料としては「ドキュメント トヨタの製品開発」(安達瑛二著、(株)白桃書房発行)ではないでしょうか。
タイトルに「ドキュメント」という修飾語がついているとおり、著者自身が実際に関わったマークⅡ(第三代、MX30,第四代、GX60)、チェイサー(初代、MX40,第二代、GX60)、クレスタ(初代、GX50)、コロナ(第七代、RT140,第八代、RT150)の製品開発の実体験にもとづいて実際の製品開発と設計についての内容が具体的に詳しく記載されています。
序章では、一人の製品企画室主査に担当車種に関する全守備範囲を委ね、全決定権と全責任の所在とを一元化する独自の製品開発体制である「トヨタ主査制度」について説明されています。
そこでは、主査(1990年代から「チーフエンジニア」と名称が変更されている)が、担当車種に関する企画(商品計画、製品企画、販売企画、利益計画など)、開発(工業意匠、設計、試作、評価など)、生産・販売(設備投資、生産管理、販売促進)の全般を主導し、その結果について、すべての責任を負う人であることが明記されています。
本文では開発車種に関して必要となる他部門との打ち合わせ内容が詳しく記載されており、実際に製品開発を経験したことのある者にとっては、自分の経験と重ね合わせることでその場面のイメージがリアルに伝わってくるため、主査の疑似体験をすることができます。
主査は、顧客ニーズ、市場競合性、市場品質問題、技術動向、社内外開発能力など、さまざまな制約条件を満たした上で、売れる製品を開発することが目標ということです。
主査の担当分野が技術分野にとどまらないことから、「トヨタ主査制度」がプロジェクト・マネージメントやプロダクト・マネージメントとも違う独自の職制であることがわかります。さらに、「担当車種に関しては、主査が社長であり、社長は主査の助っ人である」という豊田英二社長の言葉が意味するように、その職責の大きさからして、天才級の人材でないと務まらないでしょう。
主査制度は、1953年、当時トヨタ自動車株式会社の常務であった豊田英二氏らが中心となって始めたとされています。また、初代主査は、初代クラウンを担当した中村健也氏(後のトヨタ自動車技監)であり、制度の発案者は長谷川龍雄氏(後のトヨタ専務取締役)ということです(「タレントの時代」、酒井崇男著、講談社現代新書)。
初代パブリカと初代カローラの主査を務めた長谷川龍雄氏は、東大工学部航空学科を卒業した後戦前から終戦まで立川飛行機で戦闘機の主任設計者を務めていたといいます。
重要なことは、主査制度の中で活躍する人材がどういった能力を持った人物かを見極めることであって、単にその制度だけを真似たところでうまく機能しないのは明らかです。
ソニーを創業した盛田昭夫・井深大氏、ホンダを創業した本田宗一郎氏、トヨタを創業した豊田喜一郎氏、アップルのスティーブ・ジョブズ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ツイッターのジャック・ドーシーなど、優れた創業者は、製品開発の中心にいました。なぜなら、創業したばかりの企業の成功は、新製品開発の結果次第だからです。
トヨタの主査制度は、モノづくり企業において、創業者のような経営感覚を持った売れるものが作れる製品開発責任者を実現するための制度ではないでしょうか。