苦しまずに問題を解決するためのヒント

苦しまずに(ピンチにならないで)済む問題解決法を考えてみましょう。
一般に、簡単には解けない問題を解決するには、まず、問題解決に役立ちそうな情報を書籍で調べたりインターネットで検索したりして集めます。
次に、集めた情報についての知識を自分の頭の中から記憶を引き出し、その情報をある法則に照らし合わせて判断したり(演繹)します。
簡単には解けない問題の場合には、既存の法則では歯が立たないことがあるため、さらに進んで、たくさんの情報からある法則性を見つけること(帰納)を繰り返して、あれこれ考える(分析する)ことになります。
最終的には、それまでの分析結果に基づいて、決定した問題解決策を実行するための行動計画を作ることになります。
以上のように、問題解決の工程では、情報、知識、分析、計画といった、コトバを使った思考が行われます。
コトバを使ってあれこれ考えても問題が解けない場合であっても、なお考え続けていると、あるとき「ハッ」とあることに気がつく(仮説設定)ことがあります。
これが今までにない解決策が得られる瞬間です。
あることに「ハッ」と気づくのは、環境適応性(ホメオスタシス)といわれる人間の「いのち」に組み込まれた進化のプログラム(動物の知恵)の働きであるといわれています。
ピンチを脱するために自動的に過去の経験をイメージとして引き出して(直観)これを自分の行動に役立てようとするために起きる現象です。これを、発明技法であるNM法を創案した中山正和氏は「いのちの知恵」といいます。
ここでいう直観とは、イメージで考えることにあたります。
気づくのはイメージであって、コトバではありません。したがって、気づいたイメージに直結するコトバが論理的思考によって分析され、その論理的可能性が検討されて問題解決のためのアイデアになります。
逆に考えると、気づいたイメージを論理的なコトバに変換できなければ、「何をどうすればいいのか」といった提案はできない(アイデアにはならない)ということです。
「手で考える」ということが、この谷間を埋めることに役立ちます。たとえば、図表やスケッチを描いたり、簡単な工作をして気づいたイメージがうまくいくかどうかを確認します。
私の場合には、この「手で考える」ことが多いといえます。
さて、頭の働き方からすると、「いのちの知恵」を使えばいいことは分かりましたが、そのためにピンチになるのは嫌だということです。
そこで、「いのちの知恵」に頼らずに、過去の経験の記憶の中から問題解決に役立つイメージを意思的に引き出せないものでしょうか。それが可能であれば、苦しまずとも知識だけでは解けない問題を解決することができるようになります。