Ideation TRIZの歴史
古典的TRIZの誕生。そして現代的TRIZへ

TRIZ Was Born

TRIZの誕生

ゲンリック・アルトシュラー(Genrikh Saulovich Altshuller)
TRIZとは、旧ソビエト連邦で生まれた「発明的問題解決理論」のことです。
* TRIZ(英語の trees と同じ発音)とは、「発明的問題解決理論」を意味するロシア語の頭字語です。

ソ連海軍の特許部門で働いていたゲンリック・アルトシュラーは、第二次世界大戦直後の1946年に、世界中の20万件以上もの特許の中から選び出した4万件に上る革新的な特許についての精査を開始しました。
特許は、過去の膨大な発明者の試行錯誤の結果であるとして、そこに問題解決の手掛かりを求めたのです。

その結果、人類の英知の結集とも言えるそれらの特許の中から見えてきたのは、次の3つのことでした。
  1. いかなる技術システムも特定のパターンに従って発達する。
  2. 異なる技術システムの進化のパターンには共通点が数多くある。
  3. それらの「進化のパターン」に基づき、新しいアイデアを探す普遍的な方法を開発することができる。
この発見をもとに、アルトシュラーは、TRIZの基礎理論を築きました。
そして彼と仲間たちは、その後も具体的な問題解決ツールを次々と開発していきました。

TRIZの代表的な問題解決ツール

  1. 技術的矛盾を解決するための「40の発明原理」と「矛盾マトリクス」
  2. 物理的矛盾を解決するための「分離の原則」
  3. 「物質-場分析」と「76の発明標準解」
  4. 8通りの「技術進化のパターン」
  5. ARIZ(発明的問題解決のアルゴリズム)、等々

日本での失敗

TRIZは、旧ソ連崩壊の5年後となる1996年には日本にも伝えられ、QFD(品質機能展開)やTM(タグチメソッド)ととも「モノづくりの三種の神器」とも言われました。

しかし、製品品質を高める方法としてのQFDやTMは広く日本企業に定着していったものの、創造力や発想力、問題解決力を養うことを目的とするTRIZは、その成果を出すまでに相当の訓練を必要とするため、日本の企業では不評でした。
そもそも日本にTRIZが紹介された際、「超発明術」という触れ込みだったことが、訓練なしに自動的に発明ができるようになる魔法のようなものという間違った思い込みをさせてしまったからなのかも知れません。
TRIZで結果を出している海外企業の例では、TRIZの訓練には一人当たり100~250時間をかけ、実務経験には1~5年が必要だと言われているのです。
日本において、TRIZはまったくといっていいほど普及しませんでした。

現代的TRIZの成長

日本にTRIZが伝わるのと前後して、1990年代にはそれまでソビエト連邦国内でTRIZを支えていた優秀な人材が西側諸国に移っていきました。その多くは、中でもアメリカを新たな活躍の場として選びました。

旧ソ連のリーディングTRIZ学校「キシニョフ学校」を率い、アメリカに渡ったTRIZマスターらは、アイディエーション・インターナショナル社を設立します。
アルトシュラーによる特許分析は4万件でしたが、アメリカに移ってからはコンピュータの力も借りて、200万件に及ぶ特許分析が行なわれました。

この後は、TRIZはアメリカを中心として成長を続け、より広く、より深く、より実践的で、より分かりやすく改良が進められてきています。
その結果、これらの新たなTRIZを総称して「現代的TRIZ」というようになり、アルトシュラーが現役を引退する1985年までのTRIZを「古典的TRIZ」と言うようになりました。

現代的TRIZの中でも、傑出しているのが、アルトシュラーの一番弟子であり、天才的TRIZマスターとして有名なボリス・ズローチンが開発チームのリーダとして率いるアイディエーション・インターナショナル社が開発した「Ideation TRIZ」(I-TRIZ)なのです。

実践的技術問題解決: i-trizの歴史